増田アーツ&クラフトとは

The Last Porcelain Decorator of Yokohama (ザ ラスト デコレーター オフ ヨコハマ)

最後の横浜焼絵付け人


横濱交易西洋人荷物運送之圖

東京より南に30キロに所在する横浜。日本最大の港を有する港町です。この著名な港町が陶磁器の絵付けの街として栄え、その作品が港から世界中に輸出されていたことを知る人は多くいません。


1876年(明治9)フィラデルフィア万国博覧会を皮切りに、数々の万国博覧会で横浜焼は必ず出品展示され数々の賞を受賞し、世界から絶賛、認知されることになった。1897年(明治30)横浜焼はピークを迎え、街に絵付職人が800名ほどが欧米市場に向け陶磁器を装飾していたという記録が残っている。


TREASURES OF IMPERIAL JAPAN より

この中で実力名声とも一番著名だったのが宮川香山であった。香山の作品は世界の数々の賞を受賞の他にも、現在でも欧米及び国内の美術館でも多く収蔵されている。日本の陶磁器絵付けの街として華々しく栄えていた横浜焼ですが、1923年(大正12)関東大震災及で壊滅被害に遭遇、して1945年(昭和20)の横浜大空襲で全工房が消失。これにより横浜焼の伝統はここで終焉を迎える。


1965年(昭和40年)に私の父、増田博が横浜焼の伝統を引き継ぎたいという想いで横濱増田窯を築窯。職人の技法と最新の近代的技法を取り入れ、東洋と西洋のデザインを掛け合わせた図案を陶磁器に装飾し横浜らしい器を作るという目標を掲げる。


この目標を理念とした横濱増田窯は数々の海外国内のブランド・企業様用の陶磁器を製作を承る。この他にも横浜らしい器を作りにも専念し、自社ブランドとしてその陶磁器を製作。これら一連は多くの人々より有難くも多くの賛美を頂き、横濱増田窯が手掛ける横浜焼は間違いなく横浜の精神を引き継いでいると評されました。しかしながら近年経済環境の劇的な変容に従い、横濱増田窯は2015年に閉窯。


そして現在、父に従いながらも横濱増田窯に30年従業していた私、増田博一が横浜焼の最後の絵付け人として残る。街も世界が凄いスピードで変容する中、多くのモノが消え去りそして忘れられていく。そうであってはならないモノは、声を上げて継承し再構成されなければならない:我々は何処から来たのか 我々は何者か そして我々はどこへ行くのかと。これらを頭の片隅に置いて、私は増田アーツ&クラフツという新しい工房で横浜や横浜焼の精神を反映する陶磁器をデザイン及び絵付けをしてます。


横浜焼の歴史

  • 1859(安政6)横浜開港。
  • 1871(明治4) 宮川香山横浜に築窯。他多くの横浜焼絵付工房もこの年代頃に設立。
  • 1876-1893(明治9-26) 横浜焼、フィラデルフィア、パリ、シカゴ万博博覧会に出品展示。世界的な認知と評価を得る。
  • 1896(明治29) 宮川香山、帝室技芸員に選出。
  • 1897(明治30)   横浜焼ピークに:横浜に絵付職人800名。
  • 1923(大正12) 関東大震災
  • 1945(昭和20) 横浜大空襲 横浜焼消滅。
  • 1965(昭和40) 横濱増田窯築窯。 新たな横浜焼再興へ。
  • 1979(昭和54)      米国フランクリンミント社のオリジナルプレート生産が増田窯の輸出業務の礎となる。
  • 1988(昭和63)  増田窯の金盛桜コレクションが日本政府より米国レーガン大統領への贈り物 として選ばれる。
  • 1991(平成3) 増田窯が製作した米国ブランド リン・チェイス・デザインのコレクションがNYインターナショナル テーブルトップショーにて金賞を受賞。
  • 2010  (平成22) APEC JAPAN2010記念プレートを横浜市より依頼製作、会議に出席された21の代表へ贈呈。
  • 2015(平成27) 横濱増田窯閉窯。
  • 2016(平成28) 増田アーツ&クラフツ設立。 

増田アーツ&クラフト五箇条:マニフェスト

❶ 横浜の人達(浜っ子)の新しいもの好きや本物志向の伝統に従い、横浜が大好な人達が好きな“洒落た”モノやコトを提供いたします。

❷ 横浜の社会を形成した人情&博愛&粋に従い、それを愚直に実行し、人からこれこそが“横浜の精神”だとに指摘されるよう努めます。

❸ 横浜の工芸産業であった横浜焼の伝統に従い、“横浜焼最後の絵付け工房”としてそれを継承し再構築した器を作ります-。

❹ 横浜という港町の伝統に従い、海外の文化・思想を“翻訳”しそれを国内の人達に普及促進にあたります。 そしてその逆も然り。

❺ 横浜が多種人種混在する街の智恵からの伝統に従い、人種、時代、階級、思想、関係なく自分のフィルターで良いと感じたモノは積極的に取り入れ、人々の生活の質が豊かで楽しくなるように仕立てた“オリジナル”を作り上げます。


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